事業委員会発足以前の企画団体

◆「シアターゼロ」「ROCKS→OFF」「黒いスポットライト」の設立以前、学館開館当初から企画を行っていた企画団体の紹介。
 「学生会館への招待」(1977年)より部分転載

・「ニュージャズ・シンジケート」
 ニュージャズ・シンジケート(NJS)は、演奏空間の限られた(ニュージャズ・ホールの閉鎖と商業的ジャズ・スポットから締出された)若手フリー派ジャズメンに広く空間と時間を解放するもので、その場においては、過去のグループ演奏という方法を解体しミュージシャン個人対個人の対決と創造的な発展の場とするこれまでにはみられないユニークなコンサートとして毎月1回開催して来た。(中略)当初は数名のミュージシャンで出発しつつも、現在では30名を越すミュージシャンの参加があり、日本のジャズシーンにインパクトする一つの大きな「場」として定着するにいたった。また学館大ホールを中心に京大西部講堂のコンサートに20名以上が出演したり、第2回インスピレーション・アンド・パワーにも総体で参加、全国のジャズ・スポットへのコンサートツアーも活発におこなっている。

・「シネマテーク
 現在の映画状況においてブロックブッキングシステムによるプログラムピクチュアーによって独占的に牛耳っている映画産業は衰退の一途を辿っている。自主上映においては自己満足的な要素を拭い去ることができず、映画産業による圧迫の中で、より個の主張をあらわすことができない状態になっている。その中で、シネマテークは、月に1・2回の定例上映会による作品の限界、観る側との溝を解消することより、より的確な我々の主張として、75年9月よりパンフの発行、76年4月、会員制の導入、76年10月、機関誌シネマテークへと移行してきた。また、我々の手中にフィルムがない現実、既成映画上映への限界など否定的にとらえる中、76年10月より自主制作「法政ニュース」の開始と自主上映、自主制作と総合的映画運動を構築してきている。

・「ロッキースーパーショウ」
(中略)また学内にとどまらず、学外のアマチュア、プロで発表の場を持てない埋もれた存在のバンドなどにも参加を呼びかけ、有名プロにも時には出演してもらい、ミュージシャン間の交流にも務めている。そして、学生会館を一つの拠点とした法大ロック文化の発展向上を望み、我々の直面する諸問題へのひとつの視点として取り組む方向性に沿っていっている。
 以前、反体制のものとしてあったロック及びフォークが今日ファッション化された売り物でしかなくなり、アメリカ、イギリスからの請け売り要素の強い日本ロック文化は、マスコミに毒された脆弱なものとなってきている。我々はこのファッション化されたロックの現状を打破し、もう一度、文化としてのロックを確立しなくてはならない。つまり個人的な葛藤の産物のロックではなく、社会体制への疑問及び反動の中から常に出発し、そこから生み出されるべき若者文化の中のロックの存在意識を高めていかなければならないのではないか。
 所詮、ロックは趣味の音楽でしかなく、ロックのファッション化に無意識に憤らされた人には、はなはだ時代錯誤に感じられるかも知れないが、根本に流れるものを決して忘れることなく、文化としてのロックを考え直さなければならない。
 我々は学生会館を軸として、サークル文化をとりわけロック文化の創造運動の目的を成し遂げるための一過程として。このロッキースーパーショウをやってきたし、今後も続けていきたい。

日本フリージャズ史

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