事業委員会についての資料文

◆「学生会館への案内」学生会館学生連盟 1982年 より一部転載
・シアターゼロ

「映画は、上映されることが、なければ、作品として存在したことにならないし、それは単なるセルロイドのくずでしかない。」ということを、シアターゼロは、断じて忘れてはならないと考えています。しかし映画情況の諸関係は、その語の無力性を証かしたてるかのように、動いています。
 それ故に、シアターゼロは、学生会館を、映像(映画だけでなくビデオ等々含め)の交通磁場を形成したいと考えている。現在までゴダール西ドイツ映画ボリビア映画など海外の作品を上映すると共に、「実験」映画、「個人」映画、ドキュメンタリーや、いわゆる「自主」映画も、積極的に上映してきた。

・黒いスポットライト

 60年代以降、テント・小劇場演劇は、当時の時代背景とともに、新劇「運動」の限界性を明確化するものとして登場した。この新しい演劇観をもつ集団の公演活動は、その先陣としてあった。例えば、状況劇場にみられるように、キャンパス、街頭の占拠というかたちで行われ、様々な反体制的人々のエネルギーと結合し、肯定的にとらえるならば、既成演劇文化情況に侵攻する陣型を切り開いたといえる。昨年度黒いスポットライトでは、劇団究竟頂、拠点劇場というテントあるいは陣幕という型態で表現活動を続けている2劇団の公演を企画したが、既成の劇場―演劇空間では成立しえないものとしてあるその活動から克ち取られる内実を検証し、継承すべき課題、提起され続けてきた課題にこたえていく方向性を持ち、これからの活動を展開していきたいと考えている。

◆「学館20周年企画 事業委員会フェスティバル」1993年 小冊子より一部転載
・黒いスポットライト

 我々にとって最も身近な演劇である。いわゆる「アンダーグラウンド=小劇場」演劇(以下、「アングラ」)は、その出現においてだけでなく展開過程においても、運動的であったといえよう。ある日、突如として新宿の街にその姿を現した、唐十郎率いる「状況劇場」の「紅テント」は、それ自体「アングラ」の先駆的存在であったのみならず、「アングラ」出現の象徴的存在といっても過言ではない。同じ頃、唐十郎だけでなく鈴木忠司の「早稲田小劇場」、佐藤信の「黒テント」、寺山修司の「天井桟敷」などが、互いに緊張関係を保ちつつも連動する運動として展開されていった。
 彼等は、当時既に何ら社会的インパクトを失っていたそれまでの演劇=「新劇」に対して自覚的に自らを区分し、批判的位置に置いてその姿を現した。それは、演劇を成立させていた関係、および演劇を演劇として成立させていた社会的関係と社会意識の転移を迫る侵犯力を備え、また、それゆえに様式の変革を必然とするものだった。こうした演劇は同時代の観客の想像力と出会い激しく共振することによって、演劇<文化>状況、社会状況を創出した。
(中略) 
 我々は、自らの企画を批評性を持った社会的インパクションとして構築してゆくことで、今日の演劇が依拠する安定的地点を踏破してゆく・しかし、それは、「アングラ」以前の演劇立場から今日の演劇を批判することでも、「アングラ」の復興や、あるいはその地点への回帰を指向することでもない。「アングラ」の出現は、それ自体が新劇=近代演劇の無効を前提とした批判であったし、「アングラ」さえも近代的な想像力の枠内に回収され、その再生産装置として機能している今日の状況に対する批判こそが、我々の活動の前提である。