粉川哲夫氏インタビュー

 東京経済大学教授、批評家、映画評論家の粉川哲夫氏にインタビューを行いました。
 プロフィール・著作やテキストなど詳細は、HP「シネマノート」を参照。→ http://cinemanote.jp/

◆2011/11/11 東京経済大学 地下スタジオにて

――学生会館に関わった当時の事についてお聞かせ下さい。

 僕がアウトノミアのことを『日本読書新聞*1なんかに書いていたのを「支援連」*2の人達が読み、誘いがかかった訳です。支援連の藤木マリ子さんたちは、党派で権力に対抗するのではなくて、いわば横断的な関係の中で、少数の人間達が連帯して闘っていくっていう方法が「アウトノミア」*3と非常に似ているんじゃないかと考えた。何回か研究会などの集まりを持ちました。大きな集会もやった。当時、80年代の初めの頃、支援連をのぞくと、いわゆる新左翼の人達はアウトノミアには関心を持たなかった。アウトノミアから派生したと歪曲された「赤い旅団」のほうには関心を持つ党派はあったんですがね。
 法政の学館で活動していた人達のなかでは、例えば、リアルの吉田シゲオさんとはよく話をしました。そんなことから、「一度アウトノミアの事で何かやりましょうよ」ってことになっていったわけです。学館でのアウトノミア集会はその流れで実現したんです。
 日本読書新聞などに書き連ねていた文章は、当時のマイナーなメディアでも取り上げられなかったから、「密輸思想」だって言っていたんです。スクウォッター(空家占拠)とか電波ジャックとかグラフィティ(落書き)などの運動についても紹介しました。そういう雑文をあとで『批判の回路』*4という本に入れたら、平井玄さんが興味を持って、僕に連絡してきたんですよ。読者としてね。彼は、竹田賢一さんらと『同時代音楽』という同人誌をやっていて、新宿のジャズ喫茶でニュージャズ(当時は「フリージャズ」という言い方はしなかった)の話なんかをしました。僕は60年代にアルバート・アイラーに入れ込んでいたんですが、世代が少し下の平井さんは、ジェームズ・ブラッド・ウルマーのことを教えてくれたのをおぼえています。その後、自由ラジオにも彼を引っ張り込んだりもしてしたんですが、アウトノミアの弾圧で捕まったアントニオ・ネグリが獄中立候補したときにそれを支援する集会をやろうっていう話が支援連の方から出たとき、法政の学館との関係が深かった平井さんなんかのアドバイスもあって、当日、学館にアンテナを立てて、臨時の自由ラジオ局を開設したりもしました。演奏もスピーチも電波で流したんですよ。ネグリは獄中から手紙を送ってきて、それを代読しました。竹田さんのA-Musikの演奏もありました。当然、当時のことだから機動隊とかも聴いてるわけだよね。まあ、聞かせてしまうという意味でやったわけですね。

――「アウトノミアのコピーではなくその創造性の『密輸入』を通じて、"運動の想像力"のトレーニングを積むこと」

 「密輸入」と僕があえて言ったには、日本に思想は入ってくるけれども、権力に対抗する思想とかアイデアとかは入ってこない。ときには禁止されてさえある。それを「密輸入」するという含みですね。

 同時代音楽通信12 6月は闘いの国!? アウトノミアの「密輸入」と右翼への武装自衛(平井玄)
 『インパクション』25号(1983/09/15)より部分転載

●メディアの牢獄から解放のアウトノミアへ
 7月に入ってイタリアでは遂にトニ・ネグリが釈放されたようだ。本誌でも前号から小倉利丸氏が紹介されているように、国家権力による支配状況の新たなレヴェル――記号論的弾圧とも言うべき、バラバラな個人・グループを権力のデッチ上げたシナリオに基いて組み合せる――の国際的な同質性においても、社会的想像力のルツボとしての社会革命の面においても、また暴力―軍事の帝国主義本国における意味の問題においても、おそらく68年以降の資本主義中枢諸国の中でも比類なく興味深く創造的なケースとして、イタリアの"アウトノミア"運動は我々の引用と活用を待っていると言える。ネグリ自身獄中から「選挙に出て当選し、その結果出獄できた事がその豊かさの一般を示している。」6月19日の法大学館大ホールにおける催しにはそうした希望が込められていた。粉川哲夫氏によって、その後の"アウトノミア"の獄中運動の進展、なお続く弾圧、その意味するものへの考察が語られるのと交互に、命名をすりぬけるインプロヴァイズト・ミュージックと言えるサイイング・Pトリオ、フォークではない新しいアコースティック音楽を指し示す友部正人のニュー・バンド(彼は「連赤」を歌った稀有なシンガー)、リアル、A-MUSIK、そしてパフォーマンスを下から活性化しようとしている霜田誠二、風巻隆、ヤタスミらの人々の蠢きがクロスする。それは、朝鮮のマダン劇を擬して集った人々の右脳と左脳の両方と刺激して、トータルな批判的理性と批判的感性を創り出してゆこうとする試みの第一回でもあった。
 確かに、資本主義の「先進性」を逆手に取る"アウトノミア"的な運動の可能性を、そう楽観的にだけ見ることはできないが、この集会がそのまま自由ラジオのトレーニングとして放送されたように、アウトノミアのコピーではなくその創造性の「密輸入」を通じて、我々は音楽を含む"運動の想像力"のトレーニングを積むことができるのである。

●「リダン」弾圧に反撃する緊急音楽行動
 一方、6月30日には同じ法大構内正門付近で、演劇集団・リダンの公演に対する右翼の脅迫電話から予想された妨害・襲撃に対抗するGIGが行なわれた。32のバンド・個人・音楽雑誌・イヴェンターらによるアピールは次のように語る。
 『右翼ウンコ集団の買弁民族主義を嘲弄する――天皇の首を斬り落して何が悪いのか!――リダンの公演ポスターに描かれた幕末錦絵風図柄「ヒロヒト馘首の図」が右翼ファシスト集団どものゲキリンに触れたという。……ジョートーではないか。……小ぎれいなレストラン等で行なわれるたくさんの小市民演劇の文化装置としての育成と、そこからハミ出る部分への徹底した圧殺攻撃。ここには、我々音楽に関わる者総てが黙って通り過ぎることのできない断固として共有すべき戦線がある。……しかし我々は、ラダンの芝居が「政治的」だからその公演を支援しようというのではない。むしろ干からびた政治主義から能う限り遠いからこそ、そうした発想が出てきたのだろうと考えている。問題は真空中の「表現の自由」ではない。音楽を創り出すその現在只今この地点ラダンの諸君と共に起ち、己の肉体をもって国家権力の私兵――骨の髄からドレイ根性に染まった者たちと戦うことである……』
 日帝権力が国家―市民社会の右傾化―軍事侵略体制化への深い衝動を隠そうとしない今日、権力の暴力装置の部品として巷の右翼ファシスト業界の商売はますます繁盛することだろう。しかしこの日、ヒロヒトがカナヅチで額を叩き割られている大きな絵看板を正面にデカデカと立て掛けて挑発したにもかかわらず、営業上の理由からか(?)、お客にでもある右翼どもはとうとうやって来なかったとはいえ、ミュージシャンたちはヘルメット・旗ザオ姿で防衛隊を編隊し、ファシストの襲撃を迎え撃とうという気概を示している。このことの意義は決して小さくないだろう。
 このように、一方で高度テクノロジックな情報資本主義に沿った社会の更新を進めつつ、また一方で右翼的な、天皇制的な要素を温存し、増殖させていこうとする支配体制のパラドキシカルな危機の全幅に対応し、闘い抜くことのできる<音楽=運動>の陣型が確実に形成されつつあると言えるだろう。

――学生会館の政治的機能・価値とは? 「スペースの政治」をキーワードに

 当時、僕は「スペース」の問題、「スペースの政治」という問題を考えていたわけです。それは、都市に関心を持っている人にはある意味当たり前の話で、すでにアンリ・ルフェーヴルなんかが「パリの5月」、「5月革命」とのからみで言っていたことです。「広場」の機能とか、都市の街路(ストリート)の機能とかがいかに政治行動と切り離せないかという事を論じていたわけです。もっと古い時代のことを考えれば、ヴァルター・ベンヤミンも論じていた。例えば、フランス革命があって以後、パリの都市改造が行われるわけです。それは結局、「革命」ができなくなる空間を作る事です。政治行動をイデオロギーの側からではなく、スペースの側から捉え直すことです。フェリックス・ガタリジル・ドゥルーズも「スペースの政治」ってことをいっていた。ミクロなスペースが変わらなければ何も変わらないと。ミシェル・フーコーの監獄論もそうです。スペースと政治っていうのは60年代以後のヨーロッパ的コンテキストでは常識だったわけ。けれど、日本ではそれがなかなか具体的には捉えられなくて、イデオロギー(スペースに入れる内容)を問題にしてしまった。器の中身の違いは問題にされても、器自体は問題にならない。日本では器は器、内容は内容っていう発想が強かった。だから、僕らがやっていた自由ラジオの場合も、電子スペースの政治ということを考えながらやっていたんです。
 法政の問題にもどると、大学というのは器としても自治の場だという意識がかつてあったと思うんですね。大学外とはスペース的に違うんだと、大学の中は学生が自主権を持って自主管理できる場所だっていう発想があった。東大の駒場寮もそうだったけど、大学内の学生スペースは、「アジール*5的なスペースだった。それがどんどん崩れていく。大学当局が崩していくわけですよね。それは国家権力の機能変化と繋がっているわけだけれども。都市もそうですね。大学の中のスペースの自律性・自由性というのは失われていくわけです。
 僕が法政の学館を面白いと思ったのは、政治的なアートの空間だった点です。主催者たちが、政治文化のイベントを実際に運営してきたからなんですよ。都心でね。ささやかな形や臨時的な形ではあったかもしれないけれど、一つの政治的かつアート的な「イベント・スペース」として、刺激的なイベントをやり続けてきたところは他になかったわけですよ。スペースはあったとしても、イデオロギー的な、つまり路線がはっきりしていて、色々な出演者が登場する事は難しい場所が多かった。そういう仕切りを外しということでしょうね。当時の学館内は党派のせめぎあいの場だったから、運営していた人たちは「狭間」をくぐってやっていくのは非常に難しいって言っていたけどね。法政は非常に戦略的に党派の間を縫って、クリエイティブなイベントを打つということをやってきたんだね。

――2004年の学生会館解体について

 2004年っていう時代は、9・11も終わってるわけでしょ? この時代になると、僕なんかは大学に何も期待していなかったですね。状況的に見て、もう90年代からそうですがありのままの大学の機能に期待するものはほとんどなくなった。東大の駒場寮とか京大西部講堂に対する圧力は、単に権力が反権力を潰すという形ではないわけだな。砂漠の穴に飲まれていくような感じで、命をかけて反対するっていうことはできなかった。正直にいえば、法政の学館が終わりになったっていうのは「そうか」というような反応しか持てなかったんですよ。もうそれ以前に大学だけでなく、都市も他のスペースも、ガサガサになってたから。もうかつての法政ではなかったですよ。キャンパス自体がジェントリフィケーション*6、都市の優美化で小ぎれいになっていく。もちろん小ぎれいにする為にはそこにあった「うさんくさい」ものとか、低収入で暮らしている人たちをなぎ倒していくわけ。排除していく。80年代は地上げブームだったんですね。それと似たようなことが学内でも起きていたわけで、ある意味で学館なんかも「うさんくさい」場所になっていたわけですね。筑波大のことなんか、もう忘れられているんじゃないかな? なんであんな所に建てられたかというと、「集会ができないようにする」ためなんですよ。それを意識して作ったわけです。そういうロジック、空間の政治を権力側、組織者達は意識していた。建前はきれいな場所を作りましょうとか、勉強や研究に好都合スペースにしましょうとか言っても。だから、もう法政の学館解体は驚きではなかった。2004年ではね。打たれるイベントの数も少なくなっていたし、他ではできないから学館でやるっていうイベントはなくなっていったんです。
 90年代に法政の学館でやっていたノイズとかインプロヴィゼーション性の強い音楽は、当時、他にやる場所がなかったんですよ。そこをフォローしたっていうことはアートのレベルではすごく貢献したと思う。どこでもできるってものではなかったから。しかし、この時代に学館ホールでのイベントに関心を持った人は、政治に関心を持った人よりも、狭い意味での「アート」系の人だと思います。しかも、一般の学生は自分のキャンパス内のレアな出来事にそんな関心を持たなかった。だからそういう意味で特殊な場所になっていった。90年代になると、政治意識自体がバブルでズタズタになりはじめるんですけどね。

――学生会館解体のその後 「学内自治システム」及び「自由空間」の剥奪について

 (法政大学での2006年からの逮捕劇については)僕は法政の学校運営の失敗だと思う。結局、弾圧という形になっちゃうというのは、管理が下手なわけだ。今はソフトなスムーズな管理というテクニックがいっぱいあるわけですよね? それがあるにも関わらず、できなかったのは学校がダメなんですよ。経営的に。スペース・マネジメントの古い部分がでちゃったのは、学校がまだ企業化しきれない部分を残していたわけで、かわいいんですけどね。学内の党派を悪玉にして弾圧する。古い形の対立を作り、それを排除することで解決しようとする。これは、管理の失敗に過ぎないんですよ。もっと進んだ組織っていうのは、そういう失敗しないんだよ、今は。そっちの方が怖いのでね、失敗したほうがまだかわいいと思うんですけれど。
 ただはっきりしていることは、大学っていうのはリアリティの一線からずれちゃってるということです。それは無意識にでも学生たちは気付いていて、だからそこで体張ることをしないんだよ、今。学内スペースの自治を取り戻そうとか、あるいは大学の民主化とかいっても、大学自体、いやそれを囲む都市や自治体自体がそういうこととは無縁になってしまっている。だから、学生も、そういう夢の場としては実際上大学に期待してないんだから。僕自身も、学生は大学に何かを期待しないほうがいいと思ってる。
 大学が今のまんまやっていったら、どのみち潰れちゃうんですよ。だから、どんどん潰した方がいい。そしたら全然新しいタイプ大学がでてくる。これはもう世界的にそうなるでしょう。例えばいまネットの大学*7があるわけ(通信教育とは違う)。世界中から教員を集めて、面白い授業が受けられる。ネットで遠隔的にやる分、フェイス・トゥ・フェイスの分もきっちりやる。日本では、文科省の許可が要るからそういう学校がつくれない。今後、学生がどんどん大学なんてやめちゃって、学校が成り立たなくなるようになってから、そういう試みを考えなおすというパターンなんだね。しかし、就職とかいろいろしがらみがあるから、大学をダメだと思っていたって、辞められないじゃない? 多くはね。大学卒業しないと就職に困るっていう条件がいっぱいあるわけだよね。(権力システムの問題として)不安感を醸成するのが依然として管理のスタイルになっているしね。既存組織を生き延びさせる為にそれが役立つってわけ。でも、そんなことを続けていると、才能のある学生はみんな海外に行っちゃうかもね。

――その流れに抗する為に 「大学で面白いことをやれば良い」

 大学って、物理的な場所としての可能性はまだまだいくらでもあるんですよ。図書館だってあるでしょう。コンピューターも揃っている。しかし、学生のほうは、せっかく高いお金を払っているのに学校に来なかったりする。学生が寝たりするから、先生もうんざりする。その結果、授業の質も落ち、学生は月謝に見合ったものを受け取れなくなる。教室に芸人とかミュージシャン呼ぶこともできるけど、あまりやらないよね、先生の方も。*8大学はいま、これしちゃいけない、あれしちゃいけないっていうね自主規制がものすごく強くなっている。学生はバイトに追われて、バイトの現場で「わかりやすい」フォーマットをたたきこまれて、(まあ洗脳ですけど)大学の授業の「わかりにくい」のが受けつけられなくなる。この分では、いずれ大学自体が崩壊するでしょうけど、それ以前に、教員も学生も、やれることはやっておいたほうがいいと思います。大学で何時間かを過ごすなら、そのあいだだけでも意味のある場にしたらいいと思いますがね。僕はそうしてます。

――長い時間、ありがとうございました。

無縁のメディア 映画も政治も風俗も (ele-king books)

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映画のウトピア

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*1:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%AD%E6%9B%B8%E6%96%B0%E8%81%9E

*2:東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議

*3:粉川哲夫『メディアの牢獄 コンピューター化社会に未来はあるか』より「イタリアの熱い日々――街路と個室を結ぶメディアヘ」を参照 http://cinemanote.jp/books/medianorogoku/m-006.html

*4:全文掲載 http://cinemanote.jp/books/hihannokairo.html

*5:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%AB

*6:粉川哲夫『ニューヨーク情報環境論』より「ジェントリフィケイションの大波がきた」、『シネマ・ポリティカ』より「ジェントリフィケーション」を参照 http://cinemanote.jp/books/cinemapolitica/c-011.html

*7:「バーチャル・ユニバーシティとフィジカル・キャンパス ――いかにして大学を再生するか」を参照 http://cinemanote.jp/articles/1999/1999_%E5%B9%95%E5%BC%B5%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%8899_021.html

*8:「教室を教室でなくするチャレンジ」を参照 http://anarchy.translocal.jp/shintai/