学生会館3周忌

◆「学館3回忌」2007/11/30 第二文化連盟発行

・「法政大学学生会館の知られざる設計思想」より一部転載。
建築家の猪野忍氏が語る「学館のもう一つの未来」  

 学生会館が解体された理由として社会との乖離があった。欧米の学生会館は広く社会・地域に開かれていて、学生以外の人も自由に出入りしている。そういうものも考えて設計したわけなんだよね。様々な学生がいて様々な社会人・地域住民がいれば、おのずと社会との繋がりができた。また、卒業生を通して社会に広がることができたなら違った結末になったかもしれない。社会の評価が高く、かつ顕在化していたなら大学も学生会館を軽視できなかったと思うんです。社会と学生がクロスする、交差するところに新しい何かが生まれると思う。大学が考えているのは教室であり、講義であり、一方通行なコミュニケーションでは何も生まれない。学生には学生会館が必要だった。

・「学館3回忌だって??」第二文化連盟総務委員長 より一部転載 

 かつて学館があった地には現在こぎれいで無機質な校舎ビルが建てられている。大学当局は今、法政の汚れたイメージをクリーンにしようとしている。汚く醜い面はすべて隠そうとする。なかった事にしようとする。それは「汚い」という文化を排除する行為に他ならない。大学にとっては汚れてしまえば全てが誰もが一緒なんだ。そこではすべてのモノは個性の欠片もない汚物として扱われる。
 汚い校舎、キャンパスは綺麗に、汚い学祭は縮小。おかしな事をのたまう学生は退学。学友会はよりクリーンに再編。支配、撤去、排除、抑圧、弾圧、破壊がこの大学にははびこっているんだ。学生には自由なんて存在するのか? 存在するとして、苦を感じなくてはいけないならこれ以上生きる術はない。

・「学館に憧れてはいけない僕たち」 
※当時の「シアターゼロ」上映会企画責任者で、現在は雑誌『界遊』編集発行人の武田俊氏の文章より一部転載

 05世代(2005年入学)と言われる我々が入学したとき、すでにキャンパスには学館はなく、代わりに鋼板塀に覆われた敷地があった。当時先輩達は「ガッカン」「ガッカン」と僕には耳慣れない言葉を口にしながら、鋼板塀を睨みつけていたように思う。それはごく当たり前のことだ。今まで自分が過ごしてきた愛すべき空間を、それらが形成してきた文化と歴史をあっという間に「暴力的」に奪われたのだ。そして鋼板塀で覆われた土地は憎むべき土地となり、新しく建設された無機質で小奇麗で学校管理の新校舎は苦笑に値し、そして「ガッカン」と郷愁のためのツールになってもしまうということ。それはごく当たり前のことだ。
 しかし、そんなごく当たり前の事すら我々05世代には許されない。「ガッカン」の話を聞くたびに羨望の眼差しと思考停止の「すごいっすね」を禁じえない僕たちに、先輩方は諌めと「何も知らないくせに」を感じてしまうだろう。僕たちは学館を埋葬する方法も、憧れる言葉も持つこともできない最初の子供たちでしかない。
 そんな僕たちに必要なのは知りもしない施設の亡霊と、その呪縛からの決別なのだろう。しかし、そこには決して無知である故のシニシズムが存在してはならない。学館がないのだからしょうがない、などという言説とは全く離れた領域で僕たちは活動すべきだと言える。

・「学生会館3周忌によせて」文化連盟執行委員長 より一部転載

 いま法政大学には綺麗な外濠校舎や噴水ができて、新一年生はパンフレットかなんかに写っているその写真を見て「法政ってすげー」とかいいながら入学してきているんだろうか? 個人的には法政大学はお洒落ではいけないと思う。
 ほんの3年前までは時代錯誤の学生運動の名残が感じられる、一目見たら廃墟かと思うような建物が建っていて、誰が見ても学生じゃない人が出入りしていたり、住んでいるんじゃないかというほどいつもいる人がいたりした。当時の法政大学は胡散臭さ全開という感じだったが、何とも言えない活気に満ち溢れていた。その元はやはり学生会館だったんだと思う。僕が入学した2003年度は、その建物が最後の自由を保っていた時代だった。キャンパスに入った瞬間、汚い建物に圧倒されたと同時に、その妖しさに魅力を感じずにはいられなかったものだ。案の定学生会館の魅力に取り入れられた僕は、入学式が終わった直後に入って、夜中まで初対面の落語研究会の人と酒を飲んでいた。汚いボックスには畳が敷かれ、ゲーム機が散乱し、本当にどこかの漫画に出てくるような貧乏学生の住処というような感じだった。そういえば入学してから一日たりとも学館に入らなかった日はなかったと思う。授業に出る前にボックス、昼休みはボックス、授業が終わればボックス、明らかに家にいる時間よりも学館内に滞在している時間の方が長かった。それほどいることが自然になっていたから。失った時の反動は大きかった。
 時代は変わっていくし、変化がないことなんて何一つとしてないけれど、僕の中で生涯忘れられない場所として、学生会館は存在する。それだけは揺らぎようのない事実だ。