学生会館についての資料文

・法政大学学生会館学生連盟『法政大学学生会館案内』(1974年)より
 冒頭「学生会館単独自主管理の更なる深化にむけて」から部分抜粋 

 法大における学生会館をめぐる闘争は、1968年12月16日の総長断交において、長い設立要求運動の結実として建設を確約させることにより、新たな段階へ突入していった。そして、以後の闘いは、1968年12月16日おいて獲得された、「学生会館学生単独自主管理運営」をめぐるものとしてあった。
 1973年、夜間ロックアウト解体闘争を基軸に、学生会館をめぐる闘いが組織されていった。そして、その過程において、またも多くの学友が逮捕・投獄されていった。
 そして、三条件・六項目体制の中のひとつの軸であった休祝祭日ロックアウト解体と夜間ロックアウトの一部撤廃を骨子とした「暫定合意」をとりかわすことにより、学生会館をめぐる闘いは、新たな地平へと突入してきた。
 では、私達は、これらの点を踏まえて何をなすべきなのか? まず、最低限要請されることは、60年代学館闘争の成果を継承し、「鍵」の管理から日常的諸事務、集会室・会議室の貸し出し、大ホールの運営etc といった、日常的運営体制をなしきること。しかも、それを一部の人々の手によってではなく法大三万人学生総体の手で行うこと。
 そして、その土台の上に、文化・芸術・政治諸領域総体にわたって、私達の創造力・構想力を展開していくことである。具体的には、現在迄のサークル運動の持っていた限界を、学生会館を媒体として。ひとつの<センター>を創造していくことである。

・法政大学発行『'94 学生生活ハンドブック』より「学生会館」の欄から部分抜粋 

 学生会館は、長期にわたる大学と学生の話し合いを経て、1974年1月に開館しました。学生会館は、学生間のふれあいの場として、文化・芸術・創造活動の場として、自治活動や、自主的な課外活動の場として大きな役割を果たしています。
 学生会館の「管理・運営」は、大学と学生の間で結ばれた「合意書」に基づいて、学生の自主管理にゆだねられており、学生会館学生連盟がその任にあたっています。
 建物は、ホール棟と本部棟からなり、有機的多目的に、また明るく開放的に利用・使用できるように設計されています。

ポスト学生運動史―法大黒ヘル編 1985~1994

ポスト学生運動史―法大黒ヘル編 1985~1994