学生会館についての論考紹介

木部与巴仁「外濠の風景とともに−法政大学55年館・58年館の現状」
http://p.tl/uLch

(以下転載) 

 学生会館は、学生が自主管理をしていた。コンサートや演劇、映画など、さまざまな企画が催された。特にコンサートには、法政の学生にとどまらない、外部からの出演者も多かった。それらが各種団体によって運営されていた。京都大学西部講堂とともに、法政の学生会館は、自主管理で知られた場所だったのである。コンサートの企画は「ROCKS→OFF」、演劇は「黒いスポットライト」、映画は「シアターゼロ」。(中略)大ホールでは松田優作やATG映画の特集上映会が盛んだった。狭い空間に押しこめられるようにし、周囲の体温と体臭を感じながらアングラ芝居を観た−−。(中略)大熊氏のもとには、学生会館に私などよりもっと深い思いを持つ人々の声が寄せられた。断片ではわかりにくいが、手がかりとして引用する。

 「私は73年入学で、『開館』以前、突入、以降、と『自主管理』に関わっていましたので(ほんの一端ではありますが)『学館取り壊し』は感慨深い、以上のものがあります」(佐藤浩秋/「in F」(註;ジャズ酒場)マスター)
 「学館は、最後の砦のようなところ。特別な所ではあった。『僕の遊び場』という言い方をした。それで分ってくれるやつ(スタッフ)とはつきあえた。−−(ややもすると)ほかではやらないことをやっているという自己弁護、弁解の場になりかねない側面があったのではないか」(灰野敬二/ミュージシャン)
 「大熊さんの『出演者や観客からしか声があがらないってどういうことだ? それでいいのか? 学館が泣いてるよ!』という指摘は、70年代〜80年代学館で時を過ごした者として忸怩たるものがあります。解体現場写真も無惨の一言です」(品田豊樹/げんこつまつり実行委員会・労働者)
 「大学側の策略もさることながら、『自主管理』能力を失った学生と、それがもちろん学生だけの問題ではないことに、いちばん悲しみを感じます」(勝田由美/教員、元『子供劇場』(註;女子高生バンド)」

・阿部高裕「法政大学学生会館について:または、私が「大学」について考える二、三の事柄 」http://ci.nii.ac.jp/naid/110004852484

(以下転載)

 家が法大の近所だったということもあって、ヘルメットをかぶって口をタオルで隠した人がたくさんいるというのは知っていたし、機動隊が学館内に強制捜査に入っていく映像もテレビで何度か目にしていたと思う。(中略)「政治」が若者にとって完全に他人事になってからの世代に属しているから、「革マル」とか「中核」とか「内ゲバ」などといった言葉は耳にしたことがあるというだけで、そういう言葉と、「法政大学学生会館」とを結びつけて考える発想は、まったく持っていなかったのだ。僕たちは学館大ホールを、なにやら怪しげで、マイナーな音楽を聴かせてくれるライブ・スペースとして、なんの屈託もなく受け入れていたのである。(中略)
 それから僕はときどき学館にライブを聞きにいくようになった。ああこの人たち、『宝島』なんかで名前を見た覚えがあるな、というアーティストが沢山出ていたのだ。ジョン・ゾーンPHEW灰野敬二大友良英山本精一ROVO…、ライブに行ったアーティストで覚えている名前を挙げてみればそんなところだろうか。その場に居合わせるのが苦行なくらいにノイジーな音や、ジャズなのかロックなのか現代音楽なのかカテゴライズが不可能な音。学館大ホールで奏でられていた音楽には、エクスペリメンタルな表現者の精神が、いつでも先鋭化してあらわれていた。その場にいることで、僕は自分の持っている「音楽」についての思い込みの貧しさを思い知らされ、結果として「音楽」というもの観念を拡張させることができた。例えば、灰野敬二のノイジーなギター・インプロヴァイゼーションの後に訪れる静寂によって、静寂というものの雄弁さを、静寂というものが「音楽」として機能するという逆説を僕は初めて知ることができたのである。
 強度を帯びていたのは演奏される音楽だけではなかった。場所そのものも、とにかく強烈なアウラに包まれていた。ライブを見終わった観客たちが書き記したのであろう。「裸のラリーズ」や「フリクション」などといった様々なバンドの名前が、エントランスの壁いっぱいにマジックで殴り書きされていた。(中略)
 法大の学生らしい人は、いつもそれほど見受けられなかった。そのかわり、ああ、この人は絶対に変なクスリをやっているな、というくらいにトランス状態で盛り上がっているひとやら、いまだにヒッピーを続けているような四十代くらいの男の人なんかがいっぱい集まってきていた。「新入生歓迎ライブ」というのに出掛けてみたら、新入生らしい観客は全くいなくて、いつも変らぬ雰囲気の人たちばかりだった。
 それゆえ、と言うべきだろう。どんなに熱狂に包まれたライブであったとしても、マス・メディアが学館大ホールのライブを取り上げることはめったになかった。カルト臭の強い音楽雑誌や、いかかがわしいエロ雑誌なんかにレポートが出るのがせいぜいだったと記憶する。
(中略)法政大学学生会館が失われていくことの意味は、「学生運動」の拠点がなくなるというだけのものではない。それは、東京のオルタナティブな音楽シーンにおいて特権的なトポスであったライブ・スペースが失われる、ということでもあるのだ。このことはしっかりと記憶されておいていい。
(中略)法政の学館や東大の駒場寮のような「うさんくささ」に満ちた場所が取り壊されたことも、実はこうした「キャンパス」の「清潔」化という大きな文脈の中で考えるべきだと、私は考えているのである。